「がん告知、余命半年」



2006年12月4日

「肺腺がんです。余命半年です。」医師の宣告が下った。

「がん、が〜〜ん。」洒落にもならない。

検査結果の発表日、がんの可能性もあると思い妻に同行してもらっていた。

しかし、思っていたより冷静だ。人間大きなショックの時は以外に冷静になる。

怪我も程度を超えると痛みなど感じなくなる。脳が反応しなくなるのだ。

つまり、それだけ強烈なショック。

昨日まで元気で何の自覚症状も無かったのに。

待てよ、そういえば、プールで泳いでいて最近息切れがした。左を向いて寝られな

かった。今考えてみても気がつくのがそんなところだ。

それから医師の詳しい説明が始まった。

真剣に聞いていたつもりが、半分も頭に入っていない。

妻に来てもらってよかった。

左肺の腺がんであること。がんは3cmぐらい、胸水が溜まっていて状況はステージ

3b〜4の末期がんであること。

手術も放射線治療も出来ず、化学治療のみとのこと。速く病院を決め入院して治療

を行なわないと半年の命。

そんなところだったか。

帰り、今のうちに何かおいしいもの、栄養のあるものを食べておこうと思い、

妻とうなぎ屋へ。

「あと半年の命か〜。」酒が入ると、涙が出てきて困った。

*2007年日本のがん告知率66%




がんの発見


2006年11月17日

「胸水が認められますので、至急大きな病院にいって下さい。」

健康診断の会社から電話があった。

秋の健診の結果の知らせだ。

電話で直接言ってくるのだからどこか引っかかったのだろう。

そのときは、事の重大性にまだ気づいていなかった。

インターネットで「胸水」について調べてみる。

肺炎、結核、うっ血性心不全、肺がんなど可能性はいろいろあった。

しかし、肺がんの文字があちこちに躍っている。

心配になってきた。たばこも吸わない、まさか肺がんなんて。

最近、私は毎年健康診断を受けてきた。昨年も受けて何の異常も無かった。

もちろん胸のレントゲンの異常も発見されていなかった。

私は5年前に腸閉塞で開腹手術を受けている。大腸の病気を一番心配していた。

がんになれば胃がんか大腸がんだろうと思い込んでいた。

翌日すぐにS大学病院に。

健診の結果を持って診察を受ける。

胸水検査。背中から針を刺し胸水を少し抜く。茶色の水が抜けてくる。

肺の中にずいぶん入っているものだ。

このなかにがん細胞が発見されれば、「がん」だ。

後で知ったのだが、がん性の胸水があることは、すでにがん細胞は全身に廻って

いると考えたほうがいい。

つまり目に見えなくても全身に転移しているのだ。

この時は、がん細胞が無いことを祈った。

*一般のがんに対するイメージ
不治の病、転移・再発、治療にお金がかかる




病院探し


がん宣告が下ってからは、「病院探し」が始まった。

「病院探し」はがん患者・家族にとって、最初で最大の難関であり最重要の問題だ。

遅れれば命は無い。

暮れ正月も近づいているので急いで決めて今年中に入院して治療を始めたい。

しかし良い専門の病院でなければ治療はむずかしいだろう。

このままS大学病院にスライド入院すれば一番早いと思うが、がん専門病院ではな

い。遠くの病院だと通うのに限界がある。

調べてみると近くにSがんセンターがある。しかし、すぐ入院できるかわからない。

何ヶ月も待ちという可能性も大きい。

そうこうしているうちに、妻がいい情報を持ってきた。

妻は友人達に電話で相談をかけていたようだ。

そのうちの一人に、知り合いで国立がんセンターを知っている人がいるということだ。

ありがたい。早速、紹介してもらうことになった。

持つべきものは友だ。

知人のがん闘病12年のベテランのM氏からもメールをもらう。

このメールで本当に勇気づけられた。抗がん剤治療が希望を持って受けられる。

すばらしい一文を紹介。

M氏のメッセージ

「◆医師たちに後で聞いたことですが、私が入院した時の状態は、「あと半年の寿命」

と思ったのが10人中8人、「あと3ヶ月」だと思うのが2人でした。

◆入院中は毎晩、夜の11時50分が一番安心する時でした。なぜなら、この時間にな

ると、容態が急変しても、多分明日は生きているだろうと確信が持てたからです。

次々と私を追い越して亡くなっていく人の中で、今日一日を生き抜くことができた

喜びは、何にも代えがたいものでした。今でもその考え方は全く変わっていません。」

そして

つぎのメッセージがわたしの闘病生活の支えとなった。

「◆あと半年となると、不思議なことに、食べたいもの、やっておきたいこと、会って

おきたい人が一つだけ、すんなりと決まってくるものです。毎日それを繰り返している

うちに、気がついたら十二年が経過していました。

◆病気をしないでダラダラと何十年生きるよりも、何倍も充実した日々が十二年続い

たと思っています。重要なのは

その日その日を100%生きることができたかどうか、だけだと思うのです。

◆毎日毎日、本当に自分がやりたいことをやり、気がついたら何十年も生きていた、

というような人生になることを祈っています。」



いまわたしは同様に一日一日を大切に生きている。



もうひとり韓国生まれの日本育ち、現在ロサンゼルス在住のH氏のメールが、わたしに

「生きる覚悟」を与えてくれた。

「日本人は一人で直ぐ死を覚悟しちゃうからいけないよ。大切な家族の為に一生懸命

生きなければ。」

 

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表紙   はじめに    「がん告知、余命半年」   「死ぬ覚悟」から「生きる覚悟」へ   入院・抗がん剤の開始  

2007年正月   2007年2月5日   2007年2月26日   2007年4月2日   あとがき