Taka's Room



第6回

 奨%管理人さんが、このサイトのBBSを立ち上げた時から記されていた“ルールを守って…” という一節のルールって、一体具体的に何だろうということから始めると、しっかり奨%管理人 さんの見解で、ここのBBSでは著作権等の話はナシでとしっかりと立場を明らかにしてくれました ので、ここでのルールということで了解するべきだと僕は思います。

 しかし、その後も個人のこだわりを捨てきれない人がいるようですね。
その方のカキコのなかに、自由という言葉がありましたが、この言葉に僕個人はひっかかりを 感じずにはいられません。自分勝手に、自分の思う通りのことを影響を考えずにしてしまうこと って、自由って言葉を使っても良いのかな〜。

僕には納得出来ないことが多々ある気がしますが、BBSでこの件について語り合い、同じ土俵に 乗るつもりもまったくありません。また、その方を訴えて裁判などで争ったり、間接的に裁判 などで証人台に立つ気もまったくありません。
かと言って、ほっとくのもなんだかなと思いますので、調度良い機会だということで、僕の考えを 少し書いてみたいと思います。


 僕は『自由』とい言葉について、僕なりの考え方を持っています。
決して、みなさんもこういうふうに考えてくださいみたいなおしつけではないので、ご了解を…

この自由という言葉を英語で表すと完全に2つの言葉に分かれてしまいます。『Freedom』と 『Liberty』です。
僕はこの『Liberty』という言葉がとっても好きです。
僕の個人的解釈として、極めて簡単に言うと『Freedom』は野放しで、『Liberty』はモラルのある といったとらえ方をしています。
以前、僕の幼馴染みの、大学で英文学の教鞭をとっている友人に、この2つの言葉の違いは何なん だろうと質問したことがありまして、彼は丁寧に文献までひっぱり出して、懇切に教えてくれました。
その友人の了解をいただきましたので、関係部分を引用したいと思います。


------freedomとlibertyですが、英語で考えると、当然異なったものとなります。目下の 目的のために、両者の語源学的観察をするのは無駄ではないでしょう。

freedomはもともとold English つまり古代のドイツ語、libertyはフランス語経由のラテン語です。 その昔freeは、freoと言われ(書かれ)、形容詞と動詞の意味を持ち合わせました。形容詞はdear, favoredの意味で、動詞としてはloveの意味で使われました。friendのfriの部分は、このfreoが ついていると考えられます(ちなみに、現在のドイツ語では「友人」をfreuden(フロイデン)と 言います)。

一方、libertyは、フランス語ではliberte、そしてその大元であるラテン語ではlibertatemと書かれ ていました(言われていました)。英英辞書にはliberty=condition of freedom, civil freedomと ありますが、それではわかりにくいので、もっと突っ込んだ語源学へとご案内いたします。

libertyは形容詞liberate,liberalと兄弟です。
つまり、親が同じであるゆえ、まったく同じニュアンスが含まれているということです。その「親」 とは、後に述べるliberの部分です。
さて、liberateは昔liberatusと書かれ(言われ)、liberareという、set free(解放する)を意味 する動詞の派生語です。
liberalは昔liberalisと書かれました(言われました)。意味はpertaining to a free man(フリー なる人間に関する)です。
liberという部分がfreeと同じ意味ですが、そのfreeの意味にalisの意味がプラスされている言葉 です。したがって、上に書いたような意味になります。前者liberateは、freeの意味にate(〜化する) の意味がついているゆえ、上のような意味になるわけです。

 freedomとlibertyの根本的な違いは、後者において、liberという言葉が使われている点です。
liberは、もともとは生命、そして本という意味で使われてきた、そして今でも使われている言葉です。
つまり、「理性=人間としての存在」という感覚の言葉であり、liberの自由という意味は、「知、 論理というようなロゴス的なものを使っての、人間の解放」を表します。
近代科学につながるような、理性・合理・論理による人間の迷信からの、自然からの、人間を束縛 するようなあらゆるものからの解放、というぐらいのニュアンスとなります。従って、英和辞書なんか では、「圧制や束縛から解放される、自由になる、自由な」というような定義が、かかげられている わけです。

一方、freeの方は、そうしたロゴス的なものはあまりありません。
「愛する」です。愛とは対象を所有することではなく、むしろ放すことである、というニュアンスで しょうし、この意味の愛は、洋の東西を問わず、大昔からいろいろな哲学者、宗教家、小説家、詩人、 神秘主義者等々に言われてきたことです。(こうした言葉の意味の違いは、大昔のドイツ語、つまり ゲルマン民族の文化と、ラテン語の話し手、つまりギリシアの後をついだローマ帝国の文化を引き ずっているはずです。)

 従って、語源学的に言えば「“Freedom”は野放しで“Liberty”はモラルのある」とは正確には 言えないのですが、しかし、ある意味ではその言い方も的を得ていると思います。
論理が絡めば、必ずや正しい、間違いが出てきますし、そうなればモラルがあるとか、ないとかに なるでしょう。

とすると、freeは「善悪の彼岸」の状況を言うと言った方がいいかもしれません。
善悪は言うまでもなく、論理でさえ、個々の主観から生まれうるものでしょうし、個人は時代と文化の 交差点において主体を獲得するゆえに、普遍的真理はそこにはないということになるでしょう。

libertyは言わば社会的な人間存在という視点にたっての「自由」、一方freedomは、そうした社会的 自己を越え、善悪を超えての自由、言わば超絶的な人間存在の視点にたった上での自由ではなかろう か、と思います。

 もっとも、freedomは「〜がないこと」という意味でも使われますので、「野放し」も言い当てて いるとは思います。
もっとも、「野放し」も「超絶的存在としての人間の自由さ」も、視点が異なるだけで、同じことに なろうかと思います。超絶的人間の存在とは前回のメールに書いたとおりです。
ああした状況に視点をもてば、人間は完全に自由な存在です。しかし、あの自由さは、五感としての 人間にとっては「まったく何もない」という世界に生きる何も無い存在です。

 さて、「自由」(freedom)には、僕も随分興味があり、博士論文もそれを絡めて書きました。
自由に関して、示唆にとんだ意見は沢山ありますが、僕がお勧めするのはエーリッヒ・フロムという ひとの書いた書物です。『自由からの逃走』(原題:Escape from Freedom, あるいはイギリス版 ではFear of Freedom)、『正気の社会』、『精神分析学と禅』の3冊がもっともお薦めです。
『愛するということ』とか『悪について』などなど他の本もありまして、これらは、彼の自由と人間の 宿命の考えを、概要として知るにはいいでしょう。もっとも、上の3冊を通読なさるのを一番薦め ますが。------


以上が、語学的に観た『Freedom』と『Liberty』の違いです。
この文章を書いてくれた僕の友人の了解は得ていますが、文献などの引用部分も含むと思われます ので、関係者各位様ゆるしてください。

一体僕が何を言いたいのかというと、自由を守りまた満喫するためには、それぞれの人がそれぞれ モラルを重んじなければいけないのではないかということです。

僕は警察ではないので、違法なことをした人を逮捕するのは、僕の仕事ではないと思っています。
またTAMTAMの楽曲について、著作権者のひとりではありますが、音楽出版社と著作権契約をむすんで いますので、著作権の行使権もそれぞれの音楽出版社にあります。著作権法の特記条項を行使する 権利はありますが、事後承諾をするつもりもありません。

まぁ、これが法律面からみた事実ですが、自由という言葉について、やはり“野放し”という解釈の 仕方は疑問が湧きます。法律も所詮あとづけのものですので、完全かというと抜け道はいっぱいある はずです。
そんな理由からも、法律に反してなければ、何をしても良いということではないと思うのです。

だからこそ、各人のモラルが大切だと僕は考えます。また、人間は自分のモラルを守れるからこそ、 人間なんじゃないでしょうか。現在、数多くの問題が累積するインターネットの世界も、こうした モラルが存在出来るはずだと僕は考えます。けっして遅れてるとかの問題ではないでしょう。
また、みんなやってるから自分もみたいな考え方は、それこそ自由の国アメリカの、個人主義が重んじ られる社会では、考えられない論理ではないでしょうか?アメリカで、無料で音楽配信をしていた サイトが、レコード会社から訴えられて敗訴したニュースも最近ありましたね。

制限のある自由って、素晴らしいと思いますよ。
モラルこそが、人間の拠り所だと僕はつねづね考えます。何か、アニメの人類補完計画みたいですね♪

 もっとも僕らTAMTAMは、みなさんに心からあやまらなければなりません。
みなさんの暖かい愛情でTAMTAMは存続しているのですから…
もっとコンスタントに活動をして、入手困難なCDなんてなければ、今回の問題も、もっと違った 展開をみせていることでしょう。しかし現実は、現在所属している事務所もレコード会社もない状態 ですので…

こういう契約が切れると、あっさり解散してしまうバンドやユニットが数多くありますが、TAMTAMは お金の切れ目が縁の切れ目ではありません。
何より、僕はMariちゃんの音楽人としての才能を愛していますし、TAMTAMを応援してくれる人達 みなさんに、何ひとつ返してあげられてないし…(例えば、名古屋CBCのスタッフのみなさんなど、 TAMTAMがニューアルバムもニューシングルも発表していないのに、定期的に番組によんでくださった りしています。)
また、奨%管理人さんがこのサイトを立ち上げてくれたおかげで、僕らがどんなに助かっているか…
本当に、みなさんに感謝しても感謝しきれません。

 ドジでノロマなTAMTAMですが、みなさん本当にありがとう。感謝しています。
そして、みなさんの期待に答え切れてなくてごめんなさい。


第5回

 ある一部の方から、最近Taka's Roomは戦国モノの話題にならなくて寂しい、という意見を聞き ましたので、今回はご要望に答えてみようかと思います。

 雑賀孫市(さいが まごいち)という本を読みました。
この人は紀伊(和歌山県)の人で、戦国時代に鉄砲隊3,000を率いて信長と戦った人です。
孫市はけっして一向宗の門徒ではなく、お金で雇われ戦ういわゆる傭兵だったのですが、自分の 配下には一向宗の門徒が多く、またこの本によれば長いものにまかれるのを潔しとしない人で、 信長気にくわないという面ももちあわせていた人のようです。

もし、雑賀鉄砲隊と雑賀水軍が石山本願寺を守って信長と戦わなかったら、確実に一向一揆は迅速に 解決して、時代は確実に変わっていたでしょう。

 また鉄砲という新兵器には決定的な弱点がありました。
当時の火縄銃というものは、弓矢よりも確実な殺傷力がありましたけど、1発撃つと騨込めに時間が かかり、次の弾を撃とうとしている間に斬られてしまうし、発射時の点火に火縄を使っているため、 湿気や雨に弱い武器でした。

しかし、孫市率いる雑賀鉄砲隊は、斬新なアイディアでこの鉄砲の弱点を克服していきました。
鉄砲隊を2隊にわけ、交互に撃つという方法を編み出しました。
後に、長篠の戦いで武田の騎馬隊を打ち破った織田・徳川連合軍は、3,000の鉄砲隊で戦いの歴史を 変えましたが、これは信長のオリジナルアイディアではなく、雑賀鉄砲隊のアイディアを発展させた ものだったのですね〜。(織田・徳川連合軍は馬防柵と鉄砲隊3段撃ちの組み合わせです。)
また、早合という紙で薬莢のようなものを作って、騨込めにかかる時間を大幅に短縮したりもしました。
また、火縄を煮しめて雨の中でも火が消えにくいようにしたりと、鉄砲という武器にとことん こだわって、無敵の鉄砲隊を作り出しました。

天王寺の戦いでは信長も太股を撃たれたりしたそうです。

 また、毛利の水軍と組んで、陸上は信長軍に包囲されていた石山本願寺へ、海上から食料などの 物資を運び込んで、何度も兵糧攻めされている門徒を救ったそうです。

 つい近年まで、こういう宗教的な対立のことは、あまりくわしく書いてある本がなかなか出版され なかったようで、信長の部下の木下藤吉朗(のちの豊臣秀吉)の部下の前野長康が書いた本、武功 夜話が発見されるぐらいまで、ほとんどなかったのです。
津本陽さんの「下天は夢か」というベストセラーになった本も、武功夜話を資料としているくらいです。

 しかし、時代とはいえ、新興宗教(このころの一向宗の門主の顕如は8代目)が世の中に巻き起こす 渦というのは、なくならないものなんですかね〜。
現代のように代表の私利私欲ではないとしても、有史以来世界中で、宗教による問題って起こって いますからね。
またそう考えれば、かえって現代の日本でたびたび起こる、宗教問題はどうなんでしょう?

僕は、いたって無宗教・無宗派なんで、きめこまやかな判断が出来ませんけど、雑賀孫市のように 男らしくもなく、いたって長いものにうは巻かれてしまうタイプ(苦笑)ですが、ヒット曲といえども 優しい(軟弱な)男の歌詞には興味がわきませんね〜。(爆)


第4回

 ヤバイっ!なんだかここのところ、こまごまと多忙で全然本を読んで ナイッ!おまけに映画も全然観てナイッ!ライブにも全然行ってナイッ!
こりゃいよいよ困ったゾ・・・

などと唐突に始めてみましたが、ホンキで困ってます。う〜ん。
そう言えば最近街は選挙ですね〜。
 この間Mariちゃんと、新宿駅の西口改札で待ち合わせたのですが、僕はいつものとおり自転車で 向かうと人込みで全く進めない。何やら大声でがなっている人もいて騒がしいナ〜。などと思って いると、共産党の不破さんが街頭演説をやってました。
う〜む。言っていることは解らなくもないのだが・・・何も演説を聞く人まで動員しなくても良いの では・・・
おかげで、おまわりさんが歩道の交通整理をやっていて、西口バスターミナルから改札口まで行く だけで15分もかかってしまった。
そんなこんなでMariちゃんと遭遇できたのは約束の時間から大幅に遅れ、そのおかげでコーヒーを おごらされてしまった・・・。トホホ・・・僕が悪いんじゃナイのに・・・。

選挙と言えばテレビの政党コマーシャル観ました?
スゴイですね〜。自民党のCMなんて、森さんが一切出ませんよ。かつて総裁が出ないCMなんてあった でしょうか?CMはライブじゃないから口がすべることもないだろうに・・・。いろいろな発言で問題を まきおこしてしまいましたからネ〜。

僕はこの選挙戦が、アメリカかぶれのように対立候補をコキおろすようなことをしなければ良いな〜 と、思います。ああいうのは、はたから観ていてあまり美しいものではナイと思うので・・・。

アメリカをはじめとして、世界の政治家というのは演説がうまいです。演説がうまいと、その人に カリスマがあるように見えますネ。あ゛。ちょっと前に流行った、カリスマ美容師とかカリスマ店員 とかじゃないですよ。これは言葉の使い方が間違ってるとしか思えません。

 つい先日、金大中さんが北朝鮮を訪問しましたね。
僕もついつい朝から、テレビを食い入るように観てました。
結局、何だか金正日さんのほうが役者が一枚上手だった、という感がぬぐえませんでした。金大中さん が希望した、空港での演説はうまくかわされ出来なかったし、出迎えに来てた人達(60万人!? そんなにいたか〜?)が振っていたのは、韓国の国旗ではなくて造花だったし、必ず金正日さんが 右側(上座)でテレビに映っていたし、訪問初日の晩さん会では金正日さんは出席していなかったし・・・。 やられましたね。
おまけに、金大中さんがおみやげで持っていったお酒は、もともと北朝鮮のある地方の地酒だったし・・・。 ふんだりけったりでしたね。
と言っても、僕はイデオロギーを持っていませんので、どちらの味方というわけでもないのですが・・・。
結局、北朝鮮の核開発にもふれませんでしたね。どないなっとんでしょう?

 そして、この頃逝っちゃう人が多いですね。
小渕さんが逝っちゃって、何で26歳の娘があとをついで立候補するんでしょう?政治家って子供が 継ぐものなの?家業じゃないんだから・・・。
皇太后さんはビックリしました。享年97歳ですって。ということは、20世紀をほぼ生きたことに なりますね。この激動の世紀を・・・。
梶山さんは突然で驚きました。ほんと急でしたね。
そして竹下さんも、政界引退宣言から49日で逝っちゃいました。これもビックリしました。なんでも、 息をひきとる直前まで選挙戦の分析をしてたそうで・・・。良いか悪いかは別として根っからの政治家 なんですね〜。

 もはや自民党に入れるという感じでもなくなったし、かといって、政権をキチンと担当できそうな 政党もみあたらないし・・・。どうしましょう?今回は・・・。連立政権なんてまやかしですよ!
そういえば、僕が入れた人って結構当選しなかったりするもんな。この間のドクター中松さんとか・・・。

はぁ〜、寂しい・・・


第3回

 しかし、僕はオシャレな場所というものに慣れないのか、それともこの不況の嵐ふきあれるご時勢に、 何を勘違いしておられるのか。
 とにもかくにも行って参りました、お台場フジテレビのとなりのショッピングビルの中にオープン した、「ラブジェネレーション」というライブスポットにです。

 目的ははっきりしすぎているほどはっきりしていて、『ドゥドゥ・ニジャエローズ・パーカッション オーケストラ』のライブです。このドゥドゥ・ニジャエローズという人は、我がTAMTAMの名前の元にも なっている、タムタム(サバールとも言う)という西アフリカの太鼓だけで、10〜30人ぐらいの メンバーを率いて太鼓オーケストラをやっている人であります。
そして、Mariちゃんも僕も神様とあおいでいるほど尊敬してやまない人なのです。

 このドゥドゥさんの住んでいるアフリカのセネガル(パリ・ダカールラリーのゴール、ダカールが セネガルの首都です。他にユッスー・ンドゥールという素晴らしいアーティストの祖国でもあります。) の村では、子供からご婦人、若者から老人まで、村中の人がタムタムを叩き、またこのオーケストラの メンバーでもあるのです。
 ドゥドゥさんはベルギーなど留学を終えた後、セネガルに戻り、村びとにリズムを教えつつセネガル中を まわり、伝統的なリズムを勉強して、また村びとにリズムを教え、一台コミューンをつくりあげた人 なのです。また、ローリングストーンズの世界ツアーの前座をやって、世界的にも名をあげました。

 さて、このライブスポットのオープンこけら落としとして、今回の来日公演が実現したのですが、
なんなんだ!このスケジュールと料金設定は!!
4日間、2ステージで全8回公演。ドゥドゥさんはすでに70か80歳にはなられるというのに・・・

 まあいいや。それでも前回の来日公演はすばらしかった。
もう何年前になるでしょうか?神奈川県三浦半島せんたんの、まぐろで有名な三崎の旧魚市場での ことでした。もう、僕もMariちゃんも開演と同時に感動しまくりの、涙たれながしのライブでした。 開演前に、関係者の人に本人を紹介してもらって、ずうずうしくも『もういちど逢いたくて』の チラシと、レコーディングしたてで、まだ発売されていなかった『太陽になりたい』のカセット テープをプレゼントして、
「貴方と一緒にレコーディングするのが僕らの夢なんです。」
とたどたどしいフランス語で言うと、なんとドゥドゥさんは満面の笑みを浮かべ
「トレビア〜ン」
と言い、タムタムのスティックをくれたのでした。

 そんなこんなもありまして、ライブの後半で突然Mariちゃんが、本人からステージ上に呼びあげ られ、セッションまでしてしまったのです。

 さて、今回は最終日の1回目に観に行ったのですが、開演1時間ほど前から突然のカミナリと大雨!
ふだん「私のリズムはサンダーだ!!」と豪語しておられるドゥドゥ さんをもってしても、この雨による大量の湿気が太鼓を湿らせ、なかなか良い音は出せないだろうな〜 と思いつつ、会場入りした僕はビックリ!
冒頭の文章へと続くわけです。

 案の定というかまったくというか、けっこう暗い気持ちになってしまうライブでありました。
今回は、僕が観たドゥドゥさんのライブでは初めて、女の人もメンバーに加わっており、総勢12人。
しかし、これまた湿気のせいで太鼓が鳴らない、鳴らない。お客も少なくテンションさがりっぱなし。
訳のわからないスノッブな、背広の関係者だかスタッフだかの携帯はピロピロ鳴り出すわ、ウェイトレスの ばかちんがグラスを落として大きい音だすわで、わやくちゃでした。

 当然2回ステージということもあって内容は1時間ほど・・・
あんまりといえばあんまりでしたね。悲しくなっちゃって楽屋に顔を出すのもやめときました。

 それでも見せ場はしっかりとありましたよ。
当日、ゲストの和太鼓奏者、林えいてつさんとドゥドゥさんの、インプロビゼーションの かけあいはすばらしかったです。

  そしてプログラムも終わり会場を出ようとすると、前回の三浦でのライブアルバム(CD2枚組)を 売っているではあ〜りませんか!
とにかく何も考えず、ソッコーGETしました。いや〜すばらしい。今日のこの日は、このアルバムを 手にいれるためにあったんだと妙に納得して家路につきました。

 一大コミュニティーを作り上げ、世界的にも有名になったドゥドゥさんにも、確実に老いというものが きていると実感した日でもありました。
 ドゥドゥさん!人生ってあまりにも短いですね。


第2回

 おくればせながら、読破しました。鈴木光司さんの大ヒット小説『リング』『らせん』。

 僕の実家から割合近い街(鈴木さんは浜松出身らしい)で育った作家の感性はどんなものだろうと 思っていたのですが、とてもすばらしかったです。
この一連の小説を読んでから、貞子のいまわのきわの風景だった【井戸の底からのぞいた青い空】が 夢にまで浮かんできて、少し恐いです。そうなんです、いまや丸窓からのぞく風景とか恐いのです・・・。
 以前、プレイステーションのゲーム音楽を担当した時、クライアントから「例えばゲームを途中で やめて床についたとしても、脳裏にこびりついているような音楽を作ってください」と注文されたのですが、 鈴木さんは文章だけで見事にできているというのは、感心しました。

 このシリーズの大ヒットによって、実は僕も少なからず影響をうけたのです。
というのも、僕がプレイステーションで音楽を担当した『闇吹く夏』は荒俣宏さんの原作なのですが、 このゲームの発売とほぼ時を同じくして、コ*ミという大手の会社から、鈴木光司さん原作の同じく ホラーを基調とした、アクションアドベンチャーのゲームが発売されたのでした。
時の勢いというものはえてして凄いものです。トホホ・・・。

 この『闇吹く夏』でエンディングテーマの曲を、入道さんというMariちゃんのヴォーカルの先生と Mariちゃんにデュエットしてもらったのですが、なんでも入道さんの子供が言うには、ゲームをして いると恐くなってきて、とてもじゃないけどエンディングまでいかなくて『終わらないのでお父さんが 歌ったエンディングテーマが聴けない!』そうです。む〜ん・・・。
例えばハリウッドのホラー映画だって、緊張感をあおるヴァイオリンなどストリングスのキ〜ンという 効果音がなかったら、どんなに恐さが半減することやら・・・
僕としたら、ホラーの効果音楽にストリングスを使わないで、どれだけ緊張感がだせるかという新たな 試みをしたのですが・・・。
おっと!いけない。話がそれてるぞっと。

 それにつけても、小説を読んでいる時に貞子の登場シーンにさしかかると、2度も僕が大事にしている 奈良玉置神社のお札が“ボトッ”と床に落ちました。う〜ん、

   恐るべし!山村貞子!!

 残念ながら僕は、映画もテレビドラマも見てはいませんが、この足下からせりあがってくる恐怖感を 表現できたのでしょうか?
まあ映画とかは原作とは別のものとしてとらえないと、なかなかむずかしいものですからね。2時間と いう時間制限のなかでは、きっといろいろな部分をはしょらなければならないですからね。

 そういえば、『ジュラシック・パーク』という大ヒット映画を観まして、すごい!と思ったのですが、 その後原作の小説をよんでブッとびました。あのあざやかに思い起こさせるシャープな文章は、たとえ 日本語訳されていてもすこしもきらめきを失っていませんでした。
 逆に『ゴット・ファーザー』は原作の小説の世界を映画の世界でも見事に表現しきっていました。
コッポラの執念はすごばらしい!

 ただ残念ですね。僕はこの『リング』と『らせん』を古本屋さんで購入しました。なぜ残念なのか というと、古本屋さんで買っている自分を棚に上げといての話なのですが(すみません)、CDでも 大ヒットしたものが、発売日の翌日には中古屋さんで山積みになっているという話をよく耳にします。
 あんなに情熱をかたむけて制作したCDが、1,2回聴かれただけですぐ売りにだされるという現実は、 ちょっと(いやだいぶ)心がいたみます。さらに中には、プロモーション用の見本盤というシールが 貼ってあるものまで、中古屋さんに出回るらしく、モラルまで問われますネ。

 TAMTAMのCDには廃盤になっているものがあり、このサイトのBBSにも中古で見つけたというカキコが ありますが、本当に欲しい人の手に渡ったという喜びは感じますが、こんなのいらね〜やと売り払われ たとしたら、ものすごく複雑です。
まあひとりよがりではありますが、自分の作品が中古屋さんに出回っているというのは、嫁にだした 娘が離縁されてきたような、複雑な親心にも似たものがあるのです。(謎)


第1回

 織田信長という人を僕は尊敬しています。
少し過激すぎた面を多大にかかえていた人ではありますが・・・。 信長がめざした日本の姿ははたしてどのようなものだったのでしょうか?今となってはすべては薮の 中ですね。

 男の子としてこの世に生まれ落ちてきた以上、時代が時代なら僕も幾多の戦場を駆け回る武士で ありたいと思っています。といって戦争をしたいわけではありませんが・・・。しかし人類の歴史は 争いの歴史であるといっても過言ではない、という言葉をきいたことがあります。すべては戦争に勝つ ために、いろいろな技術も発展しました。予算の上限は限り無く、いろいろな科学者がこぞって研究に 没頭したため、すばらしい製品を生み出しました。
 その影は音楽にも多大に影響しています。例えば、レコーディングでつかわれるコンデンサーマイク というものがあります。これは潜水艦のソナー用の音探索のために次々と開発されていったものを僕らは 今でも有り難がって使用しています。現在僕が欲しいな〜と思っているマイクなどは、最高の状態に 保たれてチューニングされているものは、もはや値段のつけようがないほどです。現在の技術をもって すればそんなマイクの1本や2本、簡単に作れそうですが、企業優先・コスト優先・利益優先の現代では 望むべきもないことなのです。
 ちなみにMariちゃんの唄録りには、オーストリア製のAKG C451の初期モデルを使っています。この マイクはなんと20年程前につくられたもので、当然製造中止になっているものですが、知り合いの レコーディング・エンジニアの方から無償・無期限でお借りしているものです。(苦笑)

 話をもどしましょう。最近、文庫本で岩崎正吾さんの『信長殺すべし』という本を読みました。 信長フリークの僕としては、ひさびさに目のさめる内容でした。
本能寺で命を落とした信長は明智光秀の謀反によるものというのは有名な話ですが、なぜ光秀が謀反を 起こさなければならなかったのかという疑問については、いままでどんな方の説も僕の心を納得させる ものではなかったのです。
所詮、歴史は勝者のものですゆえ、時代の君臨者から見たものでしかないですからね。そういう意味 でも、信長も光秀も最後まで勝者でありつづけることが出来なかった人物なので、この事件の真相は やはりわかりません。
この本もあくまでフィクションなのですが、いままで聞いたり読んだりしたもののなかでは、もっとも 納得がいってしまいました。信長関係の本で僕が信頼しているものは、いままで津本陽さんの『下天は 夢か』しかなかったのですが、あらたに1冊加わりました。フフフ。

 あらためて思ったのは、真実はひとつではないということです。事実は光秀が謀反を起こして主君で ある信長をせめ滅ぼしたという1点ですが、そこには光秀しか分からない真実があったし、信長にしか 分からない真実もあったはずでず。それもこれもすべて、信長最期の言葉とされている
          「是非に及ばず」
に集約されている気がしてなりません。
あと少し残して、日本は事実上わが手につかみきったといっても過言ではない信長が、自分でも思いも 知れなかった自分の家来に攻められ、どうして
          「是非に及ばず」
のひとことで達観できてしまうのか?信長の人間のふかさにあらためて感動をかくせません。
はたして、僕はあと少しで自分の描いた夢が達成されそうなその瞬間に、もろくもくずれさっていく としたら
          「是非に及ばず」
と潔く言えることが出来るのでしょうか?残念ながらそこまで人間ができていません。きっと無茶苦茶に あがいてしまうことでしょう。

信長暗殺の実行犯は光秀だったとしても、黒幕はいったい誰だったのでしょうか?
   秀吉?
      家康?
         義昭?
            正親町天皇?

信長暗殺によって利益をもった人物は誰だったのでしょうか?
   秀吉?
      家康?
         義昭?
            正親町天皇?

う〜ん。また今夜も眠れない。みなさんも考えてみてくださいね。ネットで本能寺を検索するも良し。 (すでに実験済み)図書館などで文献をあさるも良し。(すでに実験済み)自分なりの仮説をたてて みるのも良し。

『人間 五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり
この世に生をうけて 滅せぬもののあるべきか』

まあ五十年とは言わないけれど、素晴らしき奇跡をうけてこの世に生まれてきたのですから、とことん やりたいことをやりましょうよ。


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