ベトナム・タインホア省のディエンビエン小学校を訪ねて (2002年の夏)ホーチミン市の空港から国内線に乗り継ぎ、ハノイのノイバイ空港に着いた息子と私を、ツーリスト会社のガイド兼日本語通訳フォンさんが出迎えてくれた。クラクション、パッシングライト、追い越しというドライバーさんの超素晴らしい(でも、ちょっと怖い)運転。すさまじいバイクの洪水の中、私たちを乗せたトヨタ・カローラは夕闇のハノイ市内へと向かう。「明日は、ホーチミン廟と旧市街の見学。午後は、陶器の村バチャンへ行きます。そして、食事。次に、水上人形劇を見ます。明後日は、何をしたいですか?」私たちが、タインホア省のディエンビエン小学校を訪問したい旨を伝えると、フォンさんはびっくり!「ハノイから170Kmもあります。タインホア省は、ベトナム中部です。タインホアの方言が私に聞き取れるか心配です。その小学校の場所はどこですか?」大阪の日本ベトナム友好協会の杉原さんの紹介状を彼女に見てもらう。「うーむ、これに住所は書いていないですね。調べてみましょう。」フォンさんは、若いのにとってもよく頑張ってくれた。「私は、クモの写真も撮りたい。」と云うが、クモという日本語が通じない。彼女にクモの絵を見せる。ベトナム語でクモは、ニェン(nhen)と云うのだそうだ。「クモは、いいやつなんだ。」私が力説をすると、「クモは、いいやつなんですね!」と納得をしていただいた(?)。 さて、ディエンビエン区の区長ホン・ニャ・クアンさんは48歳。彼の父は、日本人である。彼の父、杉原さんは、敗戦の年、海軍軍人だったが、上官は日本の敗戦を受け入れず、「杉原よ、船でベトナムに渡り物資を手に入れて海南島の我が軍に戻れ。」との指令を出した。杉原さんは、単身ベトナムに渡ったが帰れなくなった。 やがて、ベトナムではフランスとの祖国解放の闘いが始まり、ベトナムの人々曰く、「杉原は、日本海軍の軍人だったのだから、我々にフランスとの闘い方を教えろ。」となり、彼は手旗信号などベトナム人にいろいろと教えたのだそうだ。 そして、杉原さんはベトナム女性と結婚し、子どもをもうけた。しかし、フランスの支配から独立できる見通しがたち、国際的にみて、このフランスとの闘いに、元日本兵がかかわっていたとなると国際問題化するので、現地ベトナムの人々は、「杉原よ、子どものことは心配するな。われわれが立派に育てるから、おまえは日本に帰国しなさい。」となったのだ。 ベトナムの経済視察団の一員として、立派に成長した杉原さんの息子=ホン・ニャ・クアンさんが、日本を訪れた。そして、40数年ぶりに父と子が日本で再会したのである。「ベトナムで困っているのは,小学校の校舎が老朽化していること。他にもいろいろ困難はあるが、未来を担う子どもたちの教育のため、校舎を建替えたい。」ホン・ニャ・クアンさんのこの思いに、杉原さんとつながりのある日本の人々が2,000万円の募金を集め立派な小学校が建設されたのである。 小説のような話だ。私と私の息子は、この大河ドラマのような話に感動をし、今回この小学校を2人で訪問した、というわけである。
ベトナム旅行最後の夜。 |