乙女の叫び、17歳の秋を悲しませるな(H11.11.19更新)
些か旧聞になるが、10月1日の昼下がり、所要で社外に出ると「お願いします。共同募金にご協力をお願いします」と近くの女子高生がグループで赤い羽根の募金活動をしているところであった。
行く先きざきの交差点の角で、4、5人が精一杯の声を張り上げ協力を呼びかけている。
注意深く見ていると、行き交う人で協力をする人はなかなかいないようだ。一様に彼女たちから目を離しなんとなく気まずそうに前を通り過ぎ、「お願いしま〜す」という彼女たちの呼びかけははますます悲痛な叫びと変わっていく。真剣な叫びである。彼女たちの目が「なぜ、協力してくれないの、ポケットや財布に小銭くらいあるでしょう」と言っているようであった。
きっとまじめな生徒がボランティア活動をしているのだろう。純真な乙女の行動に対し、「今の大人たちはダメなんだ」と失望されるのが怖い。「同じ様な大人に染まって欲しくない。彼女たちのように自分が街頭に立てるだろうか。何とか彼女たちの行動に応えてあげたい。まだまだ世の中は捨てたものではないと思って欲しい。折角の行動が徒労に終わって欲しくない。たとえ集まった額は少なくても充実した満足をとともに快い疲れを得て欲しい。」などと青臭いことを考えながら歩いていた。
その時、向こうからやってきたお兄ちゃん。年の頃は20歳代半ば、茶髪で首には金の光り物、セカンドバックを小脇に抱え、くわえタバコをしながら、外股歩きの少し小太り気味の風体。失礼ながら見るからに募金を期待できそうにない御仁である。その兄ちゃんが、何と何とはにかみながら、おもむろに財布を出し募金をしたのである。しかも照れて、赤い羽根を受け取ることなく足早にその場を去っていたのである。
彼女たちのうれしそうな顔、その後の声は明るく、まさに砂漠でオアシスのように彼女たちに頑張りと気力を与えた効果のある募金行動であった。彼女たちのやる気を呼び起こしてくれたお兄ちゃんに「ありがとう」とこちらまでがお礼を言いたくなった。
戦後50年を経た今日、募金活動そのものの在り方を考え無ければならない時期にきているかもしれない。前年対比で府県当たりに目標金額の割り当てがあり、それを受けた市町村にまた割り当てがあり、同様に地域ごとにも割り当てがある。寄付と言うより、半ば強制的に集金されるシステムになっている。みんなが共にまだ貧しかった頃には、自分に余裕がなくても少しでも寄付や募金をしようというまさに助け合いの精神があったと思う。みんなが豊かになるに従い、心の方が貧しくなっていくような気がしてならない。
金額だけなら、彼女たちがどこかでアルバイトをして稼いだお金を集めた方が多いかもしれない。ただ無償の行為として一日立ちつくす次世代を担う乙女の行動に、少しでも報いてあげることがこれからの彼女たちの人生を豊かにし、またすばらしい母になっていくのではないだろうか。募金に協力することによって行動を讃えてあげたいものだ。
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