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−以前はプロのサッカー選手だったとお伺いしています。福祉分野に転身されたきっかけは何ですか。
サッカーを辞めたのは6年前、23歳のときです。辞めて6ヶ月ほどは、六本木に通ってすごしていたのですが、そこでアメリカ人の軍人と仲良くなり、「日本もこれからはシルバービジネスだ」と言われたのがこの分野へのきっかけとなりました。
もともと理論や理詰めで考えるのが好きだったので、それからは自分なりにシルバービジネスについて調べはじめました。そして、「やるなら介護だろう」と思ったのです。
そこで、まず、祖母の家の近くにある特別養護老人ホームに介護職として入り、祖母の介護をしつつ2年ほど勤めました。
−始めて介護の世界に入ってどう感じましたか。
思っていた世界とずいぶん違っていました。悪いほうに・・、ですが(笑)。介護職員として技術を学びましたが、自分が思っている介護と実際の現場は違い、どうしても流れ作業になってしまいます。結局は、「たくさんおむつ交換できた人が偉い」、そしてそういう人が主任になったり、課長になったりする・・・。これは、おかしいと思いました。
介護職として半年ほど経つと、パソコンが得意ということで生活相談員になり、ご家族の相談を聞くようになりました。でも、生活相談員としてご家族に伝えることと実際現場で行われていることとの間には開きがあったのです。例えば、「オムツ交換は1日8回です」と言うように言われても、実際は1日4回、あるいは3回の定時交換であったりするわけです。
ぎりぎりの職員数でやっていたので、仕方なかったとしても、こういうことはやりたくないと思っていました。そんなときに、新規にグループホームを立ち上げるので来ないか、と誘っていただきました。
−新しい職場はいかがでしたか?
そこは、株式会社の運営による3ユニットのグループホームでした。でも、正職員ということだったのに入ってみると自給は700円のパート介護職員で、最初から食い違いがありました。介護職のパートでは食べていけませんから、「これは、なんとかしないといけないな」と思い、管理者くらいにならなければ、とおもったのです。
そこは株式会社でしたし、全くの営利追求型でしたから、グループホームも当初1か所だったのですが1年で5か所に増やすために私も本部に引き上げられ、開発係に配置されました。会社の経営方針などに私の思いと違う点がありましたが、入ったからには3年は続けよう決めていました。それで、3年経ち、自分の求める理念が社長に理解してもらえないことがはっきりした時点で辞めました。
−そのときは、次の行き先はあったのですか。
社長の考えは変わらないと言う予測は立っていましたので、自分なりに次の手立てを考えていました。そのときには理想的な施設については、だいたいの骨子を作っていましたから、それを実践することにしました。
当初からデイサービスをやろうとおもっていましたので、まず県内のマーケティングリサーチをしました。手をだせる価格で借りられる相場で、競合が事業所が少ない地域を探した結果、熊谷市でやろうと決心しました。
−ここは普通の住宅ですが、どうやって 探したのですか。近所の反対などはありませんでしたか。
ここは賃貸ですが、適当な物件を見つめるために、不動産屋、縁故・・・と考えられることをフル活用しました。
住宅地でデイサービスセンターを始めるということについて近所の反対は1件だけでした。それも最近は、何も言って来ません。
また、この家は、トイレを改造したくらいでほとんど改造していませんが設置基準はクリアしていますので、市や県で問題になることもありませんでした。
(⇒次号に続く)
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藤田 英明 さん
◆ 熊谷西デイサービスセンター 銀座編 ◆
〒360-0032 埼玉県熊谷市銀座4-9-5
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