現実と非現実のはざまに漂う原発の風景
この広川泰士の新しい写真集『STILL CRAZY』を見てまず最初に強く感じるのは、全編にわたって、時間が停止したような、あるいは「死んだような」静けさが漂っていることである。ここでは生命の躍動感、人間の息遣い、あるいは事物の発するノイズなどがほとんど払拭されてしまっている。だから画面から感じ取れるのは、何か自分とは無関係な遠い世界の出来事を、双眼鏡で眺めているような感覚ばかりなのだ。 いくらめくっても、少しも先へと進まない苛立ち、最後までページをめくっても、まるで最初から一つの場所にずっと止まる続けていたかのような錯覚。それは一つの場所に釘づけにされている感党であり、ある種の既視感だが、それは単にこれらの原発が画一的なデザインであったり、あるいは立地がどこも似たような海岸線の風景だということばかりに要因があるとも思えないのだ。 われわれの、生々しいまぎれもない「現実」である原発。それなのに、まるで他人ごとのように、あるいはすでに無関係な事柄ででもあるかのように、多くの人は日々をやり過ごしている。自分たちの現実であるにもかかわらず、原発の存在を日常から切り離し、忘却したまま、われわれは生きている。作者はそうした原発をわざと遠い世界の物語のように、しらじらと、そして既視感に満ちた不気味な静寂感と時間の停止した感党で演出することによって、われわれ自身の忘却そのものをあぶり出し、それこそを批評しようとしているのではあるまいか。 その意味でいって、この作品集の中でわたしが一番関心をひかれたのは、最初に登場する2枚で1組の写真であった。1枚目は、人々が家族で梅水浴を楽しんでいる風景をとらえたものである。鳥居が見えたり、パラノルやボートが置かれていたり、夏場ならどこの海岸でも見かける光景だ。ただ一つだけ違うのは、この海岸の小さな岩山の向こう側に、原子炉が顔を覗かせているということである。にもかかわらず、人々はまるでそのことに無関心であるかのように、平然と海水浴を楽しんでいる。
アサヒカメラ・1994年11月号 飯島洋一 (建築評論家) |